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メルマガ;197th 「社名変更に込めた想い なぜ日本にファミリーオフィスは根付かなかったのか」

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【目次】

  1. 今週の一言/モノリスの活動日記

こんにちは。門垣です。

今月よりモノリスコンサルティンググループ株式会社を改め、モノリスマルチファミリーオフィス株式会社へと社名を変更しました。

組織体制としては、これまでと同様にモノリスホールディングを持株会社とし、その傘下に運用助言・代理業の免許を活用して運用部門を担うマネーコンパス株式会社を配置。

そして並列で今回のモノリスマルチファミリーオフィス株式会社を設け、運用以外にまつわるオペレーションサービス、M&Aやファイナンスを含む各種プロジェクト、税務アドバイザリーや相続・財団設立などのソリューションを担っていきます。

また、今月から新メンバー1名の入社と技術顧問の参画もあり、来週にはウェブサイトにも掲載する予定です。

さて、最近「なぜ日本ではファミリーオフィスが根付いていないのか、あるいは知られていないのか」と聞かれることが多くなってきました。まだ明確な答えはありませんが、私の考えでは複数の要因が重なっているのではないかと思います。

大きな要因のひとつは、第二次世界大戦後にGHQによって行われた財閥解体です。三井・三菱・住友といった中央財閥だけでなく、地方財閥も「過度経済力集中排除法」に基づいて解体対象となりました。片倉工業(片倉組)、豊田産業、寺田合名会社、辰馬家商店などもその例です。地方財閥は、1930~31年の昭和恐慌によって既に本業の競争力を失っていたこともあり、制度的な解体が一層の打撃となりました。

さらに1947年の独占禁止法により持株会社制度が禁止されたことも大きく、日本では「経営はしないが未上場株を持ち続ける」という形が難しくなりました。財閥が保有していた株式も、政府が発行した財閥解体公債によって清算が進み、代わりに企業同士の株式持ち合いが普及しました。

こうして「事業で得た資金を家族がプールして資産を保全・投資する箱」が存在しなくなり、資本と経営の分離が加速しなかったと考えています。

もう一つの背景は、日本的な文化や価値観です。欧米が個人主義を基盤に「ファミリーの資産を次世代に受け継ぎ、蓄積する」発想を持っていたのに対し、日本では「組織全体で会社を大きくする」という共同体的な発想が強くありました。その延長線上で終身雇用制度が生まれ、家族だけが資産を蓄積するのではなく「みんなのもの」とする意識が広がっていったのではないでしょうか。

欧州の例を見てみると、ロスチャイルド家が象徴的です。ドイツのヘッセン王族の宮廷御用商人として金庫番業務で財を築き、その後は銀行業を基盤に鉄道、スエズ運河株の買収、繊維産業、ダイヤモンド、インフラなど幅広い事業に投資しました。

彼らは自ら経営の現場に立つことはなく、株主として関与し、資産を拡大していきました。戦争時にはユダヤ系であるがゆえに資産を剥奪されることもありましたが、早い段階から世界各地に地理的分散を進めていたため、ファミリーの基盤は途絶えることなく続きました。これが現在も一族が大きな影響力を持つ理由のひとつだと思います。

一方の日本では、GHQによる金融制度改革が重なりました。銀行法や証券取引法の改正によって銀行は融資、証券会社はブローカー業務に特化し、銀行は企業融資をメインに、証券会社は仲介に力を入れることになり、個人投資家への包括的なサービスは手薄になりました。

さらに戦後の深刻な外貨不足のなかで外為法が制定され、海外送金や輸入はすべて国家の許可制となり、グローバルな金融取引を活用することができませんでした。さらにバブル崩壊を経て「金融=悪」というイメージが強く根付き、資産運用そのものが発展しにくい風潮も生まれました。

つまり、日本では戦争による資産や組織の剥奪、戦後の会社法や金融制度の設計、そして海外へのリスク分散を怠ったことが重なり、ファミリーオフィスが育つ環境が整わなかったのだと考えています。

私はファミリーオフィスという存在が、ファンドや金融機関と異なり、長期的な視点で物事を捉え、大企業に比べてスピード感と柔軟性を持って投資できる点に大きな意義を感じています。これが日本に普及すれば、資本がしかるべき場所へ循環し、日本経済、さらには世界や社会全体の発展につながると考えています。その一端をモノリスとして担っていきたいと思い、今回の社名変更に至りました。

本日のメルマガは少しかたくなりましたね。

今週もよろしくお願いします。

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